土地家屋調査士とは
他人の依頼を受けて、土地や建物の形状、利用状況などを調査、測量して図面作成、不動産の表題に関する登記の申請手続などを行う測量及び表題に関する登記の専門家です。
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他人の依頼を受けて、土地や建物の形状、利用状況などを調査、測量して図面作成、不動産の表題に関する登記の申請手続などを行う測量及び表題に関する登記の専門家です。
高平台小学校 5学年4組の授業 「丸を四角に」 田口一法
土地家屋調査士と言っても、知っている人はあまりいないと思いますので、どんな仕事か紹介しますと、法律と測量を一緒にした仕事です。法律関係のお仕事と言ったら、裁判官や検事、弁護士、こういった人たちの仲間です。法律の仕事に測量の技術を持って参加していますが、今日は法律のお話ではなくて、測量、それも地図を作ると言うことを中心にお話しをします。
測量、地図と言ったら、社会科の時間で、伊能忠敬のことを教わっていると聞いています。 伊能忠敬は日本全国を測量して回りましたので、日本地図を例にお話ししようかと思いましたが、測量の技術を分かり易くお話しするには、世界地図や地球儀を引き合いにしながら話をした方が、伝えやすいかなとも思いましたので、今日は、世界地図を作るのに、昔の人は苦労したというお話しをさせて頂きます。どういう風に苦労したかというと、「丸を四角に」するのに、とても苦労しました。そして今でも、「丸を四角に」する技術は、まだ完成していないんです。
丸って何のことだと思います。うんと大きな丸ですが…。丸い地球をどうやって四角い紙に地図として描くか。「丸を四角に」するために、昔の人はとても苦労しました。
ここに地球儀があります。地球はこういう形をしています。皆さんが勉強で使う世界地図と、この地球儀とは、全く同じと言うわけではないんです。
地図を丸くしても、筒になるだけで、地球儀のようにはなりません。地図を丸めた形を円筒形と言います。絵に描くとこういう形、お茶入れの筒のような形になります。地球はたんなる丸ではなくて、野球ボールのような形をしています。ボールの表面を球面と言います。ですから地球の表面も、測量の世界では、球面と言います。
この球面を、紙という平べったい平面に落とさなくてはいけない。そのために昔の人はいろいろと考えて、学問にしました。その学問をしっかり学んで、日本中を測量して、初めて日本地図を作ったのが、伊能忠敬です。伊能忠敬の後も、いろんな人が研究して新しい学問を興して、より正確な地図を作ろうと努力しました。この昔から続く延々とした努力を、「伝統」といいます。
「伝統」というのは、皆さんの高平台小学校もそうです。皆さんは今、世界で一番最先端の学問を、世界で一番最先端な方法で、世界で一番最先端の技術を持っている、(このクラスの担任の先生は何というお名前ですか?)○○先生から教わって、そういう高平台の子どもは、世界で一番最先端を行く子どもなんです。先生の言うことをよく聞いて、しっかり勉強してください。それが新しい伝統になっていきます。話がそれましたけれども、地球儀を紙の上に広げると、スイカの皮を分けたような、こんな形になります。ですから一枚の地図に収まる本当の形はこうなんですが、これでは、これとこれの地図がつながらない。せっかく一生懸命苦労して、測量して作った地図が、お隣を測量して作った地図とつながらないようでは、勿体ない。そこで今は、測量して測った距離に、数式で出したものをかけて、地図を作っています。その数式は、ちょっと難しいけれど、ここに書きます。私たちは縮尺係数と言っていますが、測量の時には、必ず使わなければならないものです。
測った距離にかける数字=0.9999(1+(縮尺係数) 原点からの東西の距離の2乗 )÷ 2×地球の半径の2乗
この数式に原点からの距離と言うのがありますが、九州の地図の原点が熊本にあります。九州を測量する時に使う、測量の基点とするところですけれども、北緯33度0分0秒、東経131度0分0秒の所にあります。菊池水源の近く、菊池阿蘇スカイラインからちょっと奥に入った所です。高平台小学校に寄贈させて頂いたのよりは、ちょっといいものを、私たちの会で、頑張って作りました。あちらに行くことがあったら、是非見てください。
測量で使う、地図の原点というのはどういうことかというと、(ここで座標系を分かり易く説明する…。出来るかな?) 以上が先ほどの数式の意味です。ちょっとぴんとこないと思うけれど、別に地球とか九州とか、そんなに大きな距離を考えなくても、10メートル、20メートルでも、地球が丸いことの影響は出てきます。熊本では、だいたい10メートルで1ミリ、小さい数字だけれど、それを計算に入れないと、最後の最後で、図面が合わなくなってしまいます。
地図と地球儀は違います。だけど、だから地図は当てにはならない、と考えたらいけないんですよ。本来、地球という球面を、地図という平面に表すことには、とても難しい技術がいるんです。黒板に書いたこの数式だけではまだまだ足りないんですが、この数式を使って測量すると、スイカの皮を分けたようなこの形から、こういう形に持っていくことが出来ます。地球儀の形とは異なるけれど、こういう地図を書くことによって、ここも、ここも、あそこもつながって、いろんな人がいろんな所を測量しても、それを一枚ずつつなげることが出来ます。そして最終的には、大きな一枚の地図にまとめることが出来るんです。
測量の世界にも、そのほかいろんな所にも、それぞれに伝統と言ったものがあります。今まで多くの人が研究し、開発してくれたおかげで、測量という仕事も出来ています。昔の人が残してくれたものに感謝し、それを一生懸命勉強するところに成長があります。どうか皆さんも先生の言うことをよく聞いて、しっかり勉強してください。これで授業を終わります。
平成15年秋、熊本県土地家屋調査士会会報に発表
―高平台小学校での授業体験報告―
小学校で授業をするように言われた。クラスは五年四組で、二時限目の理科教室を用意するとのこと。私の授業は理科になるのだろうか、どうした授業を用意したらいいのか戸惑ったが、私からは、教室には地球儀と、子どもたちには授業で使う世界地図を持ってくるようお願いした。
土地家屋調査士という、私達の仕事を理解してもらうことが一番の目的なので、測量の技術的なことに話を絞り、子どもたちが授業で習い、私がお話し出来ること。しかも興味を持ってくれそうなことと言ったら何があるだろうかと頭を悩ませ、地球が丸い球面であるために、測量の成果を地図という平面に表現する過程で、どのような問題点があるのかを話し、問題の解決策として「縮尺係数」という数式があるので、その数式で話を完結させようと、原稿を書き上げた。
家で原稿を書き上げて、隣にいた家内にこの数式の説明をしたら「全く何のことかチンプンカンプン、小学生の子どもに分るはずがない」と言った。何のことか、簡単に分ってしまったら、授業をする意味がない。これでいい。子どもたちには、知識を理解するのではなく、感じてもらえる授業をしたいと考えている。小学生の子どもたちの理解は少しばかり超えるかも知れない(実は、大人でも超えている)が、測量という特殊な分野で、今学校で習っていることがどのように役立つのかを、事例として紹介し、感じてくれれば、学校で勉強する励みにもなるかも知れない。小さい子どもたちを励ますことが出来るのならば、これに勝るものはなかったのである。
会長は少し遅れてくるとの連絡があっていたようだ。揃った広報部長と理事、私の三名、受付へ行き、校長室へ案内してもらった。校長と話しているうちに会長が現れたので、私は理科教室の場所を聞いた。「まだゆっくりしていていいですよ」と校長は言ってくれたが、気持も落ち着かないし、校長室よりは早く教室へ行って、場の雰囲気にも慣れておきたかったのである。「どんな授業をして頂けるのか、楽しみだなあ」と校長は人のいい顔を向けてくれ、校長室を抜け出すタイミングも、これでなかなか難しいものである。
会長以下広報部長と理事、私も役職者ではあるが、たんなる広報部員。何でこの俺が授業をするようなことになったのだろうと、会長から順々に顔を見比べて行ったが、事態はもう動き出している。ここまで来たら、やるしかない。校長は、土地家屋調査士というあまりなじみのない仕事を理解しようと、「学問としては、土木の分野になるんでしょうか?」と、私たちに尋ねた。「土木としてよりは、法律の専門家だと私たちは思っております」と広報部長が答えていた(ように思う。なにぶんにも大分時間が経ってしまったので…、)。腕時計を見て、あまり時間もないようなので、再度場所を聞くと、「それでは一緒に行きましょう」と、校長を先頭に理科教室へ向かった。
理科教室には先生が一人いらして、世界地図と地球儀はこれでいいですかと言って頂き、パソコンもあるので使うならということだった。立派なプロジェクターで、これがあるなら前もって、図をCDにでも書き込んで持ってきたものを、授業前に、一度学校に足を運んでおけば良かったと悔やまれた。先生からそんな説明を受けているうちに子どもたちが教室に入ってきて、前列に座る子どもたちからは「おはようございます」と、挨拶を受けた。
授業が始まって子どもたちから礼を受け、授業を前に校長は、子どもたちに先ほど校長室で私たちから聞いた職業の紹介をして下さり、授業に入った。会長以下の人たちは教室の後ろに陣取り、何か手助けが必要な時にはいつでも、と言うことになっているが、実際には…、
教壇に立って教室を見回して、子どもたちの視線を一手に感じてしまうと、「やはり、断りゃよかった…、」と思ったが、こんな気持で授業をしたら、ずっと後悔が残ることになるので、気持を切り替えて、とにかく大きな声を出した。
実際に用意して頂いた地球儀を指さして説明したが、広い教室に地球儀一つではいかにも小さくて、後ろの方は見えないだろうと、教室にあったパソコンをインターネットに接続して、地球の構造図をプロジェクターに出して説明した。要は球面と平面を、頭の中で想像してもらったらいいので、そんなに細かいことまでの説明はいらないのだが、ついつい余計なことまでしゃべっていたかも知れない。説明しながら、ちらちら子どもたちの表情を見てみたが、明らかに戸惑っているのが見て取れる。調査士会で受けた研修をそのままやっているようなものである。小学生の子どもに理解できるはずがなかった。理解できないことは最初から分っていたが、実際に子どもたちの困った顔を見ると、少しばかりではあるが、痛む胸もある。けれどそこは割り切って、用意した授業を全部こなした。
用意した分は全部終わったが、まだ少し時間があるようだったので、インターネットをGPS(人工衛星を使った測量)のサイトへ接続したら、子どもにも分るような簡単な画図が出てきたので、私もほっとしたが、子どもたちもほっとした顔をしていた。
「GPSって分りますか? 人工衛星を使って、カーナビの原理を測量に応用したものですが…、」と言うと、「子どもたちには前もって、GPSのことを説明してあります」と、理科教室の先生が言った。どうやら学校側が期待していた授業というのは、GPSの事だったのかと思ったが、時すでに遅し、授業は終わってしまっている。GPSに関しては、人工衛星の数が今は二十八個飛んでいると言うことと、位相差という言葉を使って説明した。GPSというのは、理論的には本来、とても難しい(技術的にはとても簡単な)ものなのだが、こちらの方に多くの共感を得たような気がして、授業の題材をミスッたかなと思ったが、これはこれでいい。子ども相手にGPSの授業だけで、1時間持たせることは出来ない。
教室での授業が終わったので、終わったと思ってほっとしたら、校庭にある、調査士会から寄贈した基準点の説明をして下さいと校長から言われ、その心積りはなかったが、実務家としては、授業よりはそちらの方が得意分野の筈である。後は会長が説明してくれるかなと思ったが、そこでも私が説明することになった。
学校側は、GPSの授業を期待していたのだろうということは、先ほどの反応から十分感じていたので、ここではGPSの説明に終始した。本当は、こちらの方の理解が難しいのだがと思いながら、それでも子どもたちがいくらかでも興味を持ってくれたようで、嬉しかった。
全部が終わって校長室に通されて、お礼を言って頂いた。子ども相手に当を得ていたのか外れていたのか、皆目見当がつかないし、授業で私なりの冒険もさせて頂いている、その冒険が成功だったか失敗だったか…、授業の間は冷や汗の連続で、想像していたのと大分違っていた。校長のお礼も本心から言って頂いているのかなあと、自分で情けない気持になってくるが、
「どこからか知らないおじさんが来て、‘地球は丸い、地球は丸い’と、一生懸命話していった…、子どもたちはきっと、強烈な印象を持ったと思いますよ」校長からこの言葉を頂いた時に、“やって良かった”と思ったものである。校長はさらに「あの縮尺係数ですけれど、大学に入ってから習います。◯◯曲数と言いますが…、子どもたちには後で私の方から補足して説明しておきましょう。」と言われた。
“ちゃんと習うんだ。大学って凄いな”と感心していると、「この校長先生、数学が専門です」と、広報部長が教えてくれた。測量の専門分野の話しになるので、誰も分らないと思って、子どもを相手に得意になって話をしていたが、実はその分野については、一番詳しい人の前で講釈をしていたことになる、気恥ずかしくもあるが、嬉しくもある。校長はもっといろいろと話しをしたいようで、名残惜しそうに私たちを引き止めてくれたが、私から口を切って、校長室を後にした。玄関で見送りを受け、外で他の役職者たちとは別れ、車に乗って校門を出ると途端にぐったりして、これが夕方なら、これからどこかで一杯という気になるのだが、まだ昼食も済んでいない時間帯であった。
この授業を受けたいきさつについてお話ししよう。
土地家屋調査士という職業を多くの人に知ってもらおうと、会の広報活動の一環として、小学校に測量の基準点を寄贈して、名前のアピールに努めていた。小学校に的を絞ったのは、子どもは勿論だが、小学校は選挙ともなれば、多くの大人たちが学校の中へ入る。校門から投票箱へ向かう、その通り道に置かせてもらえれば、よりよいアピールが出来るだろうと学校と交渉し、置かせてもらい、その記念に授業をという話になったらしい。私とは別の広報部員が、小学校で授業をすることで、学校と日程などを調整しているということを聞いてはいたが、当初は会長が授業を行うことになっていたし、私はこの件に関しては、あまり動いていなかったのである。
「先日の理事会で、田口さんが適任だろうと言うことで、話が決まりました。」
広報部長からの電話では、事態が良く飲み込めなかったが、
「会長が言うには、“大人が相手ならいくらでも話が出来るが、相手が子どもだと、要領が分らない。誰か適任者はいませんか?” 理事会でそう言う話しになりまして、田口さんが適任だろうと言うことで、話が決まりました。」
「ハア…、」と、受けてはみたものの、“何で、俺がせにゃいかんのだ”とも思ったので、はっきりしたことは覚えていないが、ぐずぐず言ったことだけは間違いない。広報部長からは「考えておいて下さい」と言われて、電話を切った。考えておけというのは、後で“やはり、会長が授業をするそうです”と言う連絡があるのかと待っていたが、広報部長からの次の電話は、授業の日時が決まったという知らせであった。日時は平成十五年九月二十一日の二時限目、場所は五年四組高平台小学校。会長の顔を思い浮かべながら、気が重くなった瞬間であった。
「あの風貌だからな、子ども相手の授業、大丈夫かな」
「本当は優しい人なんだけれど、見かけはどうしてもね」などと、以前広報の理事と軽口を叩いていたので、言った軽口の後始末もしなければならんのかなと、引き受けることにしたのである。
そう言う経緯ではあったが、今となっては、いい経験をさせて頂いたことに、感謝するばかりである。家内も誉めてくれて、
「大学も出ていないのに、小学校で授業をするなんて凄いよ。亡くなったお父さんも、きっと喜んでいるよ」と言ってくれた。大学を出ているかいないかはどうでもいいが、小学校での授業が、いい供養になったとまでは考えなかった。何でも一生懸命やれば、思わぬ副産物があるものだ。感謝、感謝。
平成18年 同人雑誌「詩と真実」に発表
開業挨拶
私が開業した頃(平成九年)、世の中の景気というものが、すこし下向きになりかけているようだった。元々が何の伝(つて)もないところで開業しているので、景気も不景気も関係がなかった。どっちみち仕事はないのである。とは言っても、このままじっとしていて仕事が来るものでもなかったので、何かしなければと思い、開業の挨拶を思い立った。
まずは挨拶文を作らなければならないが、そのようなものを作っても、届いたと同時にゴミ箱へ行くのがせいぜいだろう。当たり前の、無味乾燥な挨拶文を作っても仕方がない。少しは人目をひくようにしたかったので、何かないかと考え、ほんの数日前、娘が面白いことをしてくれていたので、それで、それで文章を起こして挨拶文にしようと思い、娘に許可を願い出た。
「父ちゃん、今仕事の無かけん。ちょっと、アピールばしたかつたい。」と言うと娘は渋々、「それはいいけど、オチはどうするとね?」と言うので、『オチというのは何のことだろう』と、マニアックな娘の質問には首をひねった。「私からああ言われたから、お酒をやめようと思う。なんて言うオチにしたら、承知せんよ」と、娘の私を見る目はかなり厳しかった。
「ああ、それなら大丈夫。そういうオチにはならない。」と娘には納得してもらい、他にもいくつか条件(私の名前は出すな、私の知り合いの所には送るな、等々)を言ったが、何とか了承をもらうことが出来た。
当時娘は小学校の五年生。小学校のお楽しみ会で模擬売店を開いて、娘は「うらない屋」と言う店を出して、かなり繁盛したと言うので、私(父親)を占うことになって…、と言う内容で文章を起こしたのだった。出来上がった文章は、娘のチェックを受けて、完了した。
ワープロで打ったのをそのまま送ってもつまらないので、私が所属している、熊本県土地家屋調査士会と言うところの広報誌に載せてもらい、掲載されたもののコピーに私の挨拶を短くつけて、それを送る予定であった。広報の役員の人にそれを言うと、「そう言うことなら、広報誌の一番いいところに載せてあげよう」と言っていただき、会報の発行を待った。
挨拶文の印刷
開業の挨拶文にするつもりで文章を起こし、会の広報誌に載せてもらい、会報が送られてくるのを今か今かと待っていた。他にすることもなかったのである。
会報が送られてくると同時に、私の事務所は印刷所と化した。会報のコピーを取り、それに短い私の挨拶をつけて、かなりの枚数コピーを取り、それに名刺をホッチキスで止めて封筒に入れ、関係するところに郵送した。こうしたことは予算的に、何度も出来るものではないので、ある程度思い切った範囲に郵送した。
家内が「友人にも配るから、何枚かくれ」と言うので名刺をホッチキスでとめようとしたら、「そういう余計なものは要らない」と言った。「名刺を受け取ってもらうのが一番の目的でしているとよ」と言っても、やはり私の名刺は、余分なのだそうだ。後になると、家内もコピーをとるのを手伝ってくれた。夫婦で一緒に作業しながら、家内は言ったものだ。「なんだか楽しいね」と。「開業の挨拶とは言ってもやっていることは、我が子自慢だものなあ…、こんなんでいいのかなあ…、」そうはいいながらも、他にすること(仕事)はない。紙幅の許す範囲で、会報に載せた文を紹介しよう。タイトルは、タロット占い。
タロットカードというのをご存じだろうか?西洋トランプの元になったといわれるもので、どことなく怪しげな感じのするカードである。若い女性に人気があるが、占いに使う。これに限らず若い女性というのは、占いを好きな人が多いように見受けられる。我が家で一番若い女性(小学校五年生)もこの例に漏れていない…、(中略)
「安心のカードがでていると言うことは、父ちゃん多分今幸せと感じていると思うんだけど、この安心のカードは逆たいね。」
「と言うと?」
「安心というカードが逆向きにでたときは油断という意味になるとよ。つまり父ちゃんは今の仕事に安心しているけど、その安心は油断につながるから用心しなさいってカードが教えているとよ。」…、(中略)
「意味が違う。父ちゃんは安心してビールばっかし飲まないで、油断しないで勉強しなさいってカードが教えてくれていると」…、(後略)』
結末やいかに…、と行きたいところだが、枚数にも限りがある。要は、こういった開業の挨拶をさせてもらったのである。結果報告は後稿で。
一割
「大体一割の人が読んでいたよ。」数字に疎い私は、過半数の五割で正否を決めようとしていたので、「失敗だったなあ…、」と肩を落とした。
「失敗じゃないって、ダイレクトメールみたいなのを送って、一割もの人に読んでもらえるなんて、これは大成功だよ」そう言う家内の顔を見ていると,そういうものなのかなあと、意気込んで取り組んだだけに、多少拍子抜けした感じになっていた。家内が電話で色々言ったので、「後で読んでみます」とおっしゃってくださった方もいらしたようだ。
新しく仕事を始めたので開業の挨拶をしようと、挨拶文を作って関係する業者の人に郵送した。家内が応援してくれて、郵送した後しばらくして「この前挨拶文の方を送らせてもらいました○○です。」と、家内がお一人お一人に電話を入れて、その応対の様子からリストを作り、「ここに行きなっせ」と私にそのリストを渡したのだった。そのとき電話で、“読んだ”と答えていただいた方が、一、二割程度の人だったのである。この数字がどの程度のものなのかは、私には分からない。ただ予想(希望)していたのとはかなり大きな隔たりがあって、落ち込んだことだけは間違いなかった。
家内からもらったリストを片手に、関係する企業さんを回らせてもらった。「今度開業した○○です。よろしくお願いします。」と言って、受付の人に名刺を渡して帰る訳だが、門前払いというようなことはあまりなかった…。正確に言うと、二社あった。その二社は、今でもはっきり覚えている。
開業の挨拶回りとしては、時期が良かったのか悪かったのかは分からない。世の中不景気で、どの企業さんも暇をもてあましていたのだろうか、「まあ、上がって行きなっせ」と、お茶を頂くことも、ままあった。ゆっくりお話ができて、自己ピーアールできるのは有り難かったが、どこもかしこも、仕事をバリバリこなすという状況にはほど遠い。
「何かございましたら、よろしくお願いします。」建設会社さんを伺ってそう挨拶したら、「この裏、工場になっているから、のぞいてごらん。機械が全然動いていないでしょう。今、うちも仕事がないのよ」この建設会社さんを始め、世の中がなんだかものすごくのんびりしていた。リストラだの何だの、社会がマイナスの動きで騒然となってくるのは、この一,二年後のことである。世の中の厳しさを、少しばかり感じさせていただいたが、今まで、どうかこうにかその日を過ごさせてもらっている(かな?)のは、有り難いことである。
タロット占い
タロットカードというのをご存知だろうか?西洋トランプの元になったと言われるもので、どことなく妖しげな感じのするカードである。若い女性に人気があるが、占いに使う。これに限らず若い女性というのは、占いを好きな人が多いように見受けられる。我が家で一番若い女性(小学校5年生)もこの例にもれていない。のみならず、関係する本も相当読み込み、とうとう人様のことを占うまでになった。
この日クラスのお楽しみ会が体育館であって、内容はそれぞれの子どもが模擬売店を開いて、誰が一番多く売り上げを上げるかというもので、うちの子は「占い屋」という店を出したらしい。一番とはいかなかったが、そこそこ繁盛したようなことを、私とか家内に話していた。
「どういう風にして占ったの?」家内が娘に聞いた。いろいろ手順があって、口で説明するのは難しいという。
「なら、私で占って見せて」娘と二人なにやらまじないめいたことをして、「当たっている、当たっている」と家内は手をたたいて喜んでいた。
「あなたも何か占ってもらいなさいよ」
「占いに興味はない」
「そんなこと言わないで、この子がせっかく頑張っているんだから」
さっきまで家内を占っていた形跡のあるところで娘と向かい合うと、「何を占ってもらおうか?」と家内が言い、私は「何が占えるんだ?」と聞いた。
「あきちゃんまだ初心者だから、3ヶ月先までしか占えないんだよ」
「5年生にもなって、まだ自分のことをちゃん付けして呼ばなきゃだめか?そろそろおかしいぞ」このちゃん付けを何とか卒業してくれないかと思うが、難しそうだ。「…、うん頑張ってみる」と一応は約束してくれた。
「3ヶ月ねえ…、じゃ、父ちゃん開業して間がないから、今から3ヶ月した頃の仕事の具合はどんなかな?」
「そんなこと占えないよ」ことの重大さが分ったのか、娘の顔色がさっと引いた。
「もう少し軽いものを占ってもらいなさいよ」家内はそう言うが、この子の得意な恋占いには、なおさらに興味がない。
「…、やってみる。父ちゃんはあきちゃんの上から手を合わせて、〝カードさん、カードさん。父ちゃんの3ヶ月後の様子を教えて下さい〟って心の中でしっかり思って、時計方向にこのカードを混ぜるんだよ。じゃ、始めるよ」
娘がカードの上に手をかざすようにして置いたので、私もその上に手を重ねた。何遍か一緒に回してその後娘はカードをまとめた。今度はそれを縦に置いたり横に置いたりしながらいくつかのグループにカードを分け、「出た」と言った。「じゃ言うね」少し厳しい顔の占者は口を開いた。「父ちゃん、今幸せでしょう…、」「まあな」と私は相づちを打つようにそう言った。娘は床に広げたカードに背をかがめ、「うん」と先ほど私に尋ねたことを確かめるように一人納得すると、静かに口を開いた。
「安心というカードガでとるとたいね。だから父ちゃんは安心しているとよ」「安心しているから今が幸せということか?」「そう」と、なんだか禅問答しているみたいだなと思いながら、次の娘の言葉を待った。彼女はカードを食い入るようにして見、「やっぱりそうだ」となにやら確信をつかんだ風で、私を見据え、
「安心のカードが出ているということは、父ちゃん多分今幸せと感じていると思うんだけれど、この安心のカードは逆たいね」
「と言うと?」
「安心のカードが逆向きに出たときは、油断という意味になるとよ。つまり父ちゃんは、今の仕事に安心しているけれど、その安心は油断につながるから用心しなさいってカードが教えてくれているとよ」
「ほー」と私は家内と目を合わせた。
「ね、良く当たっているでしょう」と家内は娘のことを頼もしそうに言った。
「もっと具体的に言うと、父ちゃんは土地家屋調査士になってからすっかり安心してしまって、ビールばっかり飲んでいるでしょう」娘は威厳あるもののようにして私に言った。
「そんなことはない。ちゃんと焼酎も飲んでいるよ」
「意味が違う。父ちゃんは安心してビールばっかし飲まないで、油断しないで勉強しなさいって、カードが教えてくれていると」
「…、」言葉がないなと私は家内の方に目をやった。その頭の上からさらに娘の言葉が続いた。
「それと周りの人がどう父ちゃんを見ているかというと、尊敬というカードが出ているよ」こんな状態がどう尊敬と結びつくのか首をひねっていると、
「父ちゃんは頑張って、難しい試験に合格したでしょう。周りの人は父ちゃんのことを誇りに思って尊敬しているんだよ」
「ほー、そんなことまで分るか、凄いなあ」少しばかりほろりとなるところをぐっとこらえて娘の方を見ていると、心なしか体が一回り大きくなっているようで、この子もこの子なりに成長していっているんだなあと頼もしくさえ感じられた。
「あきちゃんが凄いんじゃないんだよ。カードが凄いんだよ。周りの人は父ちゃんのことを誇りに思って尊敬しているんだから、油断しないで勉強しなさいって言うのがこのカードの教えてくれている意味になると」言い終わると娘は、いかにも終わったという感じで背筋を伸ばした。
「ね、凄いでしょ?」家内から感想を求められたようで、「ああ、大したもんだ」と私は娘をしげしげと眺めた。
多分私たちの知らないところで娘もどんどん成長しており、その一部分を今日見ることが出来たのだろう。ありがたいことである。私の方も少し時間がかかったが、資格を取ることが出来、その過程で何らかのものをこの娘も感じてくれているようだ。そう思えば、試験に何度も落ちたことも、少しは意義のあることだったかなと思わないでもない。それと娘が言うように、このごろの私に油断があるのも事実だろう。最近酒量は確かに増えている。勉強しなければならないことはたくさんある。気持ちを切り替えていかねばならない。しかし今一番大事なことは、この娘の成長を祝って、祝杯を挙げることである。
タロット占いは、熊本県土地家屋調査士会会報に発表
白水村の村役場を回ったついでに白川水源を少し覗き、阿蘇の法務局に登記申請を一件出して、帰宅の途中であった。(土地家屋調査士というのは、登記に絡んだ測量をするのが業で、大体こういう仕事)大津を過ぎて菊陽に入ったあたりで昼になったので、道筋のレストランで昼食にした。
昼食後、少しゆっくりしようと、車を置いたところへ行くと、柵で囲った駐車場の向こう側の畑で老夫婦が二人、包丁を手に、採れたばかりの人参の葉を、切り落とす作業をしていた。菊陽の人参は名前が売れている。視線を少し上に上げると、辺り一面は人参畑だった。
土から採れたての野菜が一番うまいのは、良く知っている。老夫婦が山と摘んだ人参を見ていると、本当においしそうで、スーパーの、パッケージに入った、綺麗だが、味がどことなく物足らない野菜に比べると、目の前にある、採れたばかりで土が付いたままの赤い人参は、まさに涎くくり。昼食が終わったばかりの、満腹な状態で食欲をそそるのだから、相当な物だ。
「その人参、少し売って貰えんですか?」柵越しに声をかけると、二人は一瞬手を止めて私を見、また作業を始めた。「おいしそうに見えたもんだから、売って貰えんかなあと思って…」私がそう言うと、「おい…」と、亭主が奥さんに声をかけて、「そこのを少し分けてやれ」と、葉を落とす前の人参を指さしてくれた。
奥さんは、両手に持ち切れるだけの人参を、「今採ったばかりだから、朝市で売っているのよりおいしいですよ。」と言って、柵越しに渡してくれた。「いくら差し上げたらいいですか?」そう言って財布に手をかけると、向こうから亭主が、「金は要らん」と、はっきりそう言った。「いくらかでも受け取って下さい」と言ったが、「無農薬で作っとるけん、うまかよ」と、相手にしてくれそうにはなかった。無農薬までは期待していなかったけれど、貴重な物を沢山、しかもただで頂いて、申し訳ないと思ったが、お金以外、お返しもできない。
「この頃の若っか者は、人参ば棒んごつ切って、マヨネーズにつけて食べたりしよるごたる。」亭主からはそう教わり、車にのせて、再度お礼を言って、その場を離れた。途中同業の人のところに寄り、人参を少し分けてやり、家に帰って、隣近所の人にもいくらかお裾分けをした。
夜は早速人参の皮をむき、棒状に細かく切って、マヨネーズを少しつけ…、食して美味だったことは、言うまでもない。
西日本新聞のリレー随想に発表
「伊能忠敬 ―子午線の夢―」映画上映会の報告
平成十四年八月二十四日(土) 鶴屋デパート イベントホールに於
熊本県土地家屋調査士会
八月二十日(火)熊本県土地家屋調査士会館で、四日後に行う映画上映会の、最終打ち合わせを行っておりました。場所は鶴屋という熊本では(九州でもそうらしいですが)一,二を競う有名なデパートのイベントホールで、ホールの集客能力は六百七十五人。能力はそうですが、うち六百席を準備することとし、それを午前と午後の二回に分けて実施する計画でしたが、そうしたイベントのノウハウを全く持ち合わせていない私たち田舎の土地家屋調査士にとって、六百人という人間の集団がどういうものであるのか全く想像がつかず、これら多くの人の安全をどのようにして確保するのかが、最大の懸案でした。
「無料ではあるけれど、心配するほど多くの人が、来てくれるかなあ…」と、これまでにいろいろと広告を出してはいるのですが、それがどれほどの効果があるのかが分かりません。「イベントの会社なら、こうしたときに、ある程度の予測をたてられるんだろうな」との会員の意見もありましたが、にわかイベント集団、熊本県土地家屋調査士会には、そうした予測をたてられる人は、一人もいませんでした。
「席の半分も埋まれば、いい方じゃないの」
「人が何人来るか、これはふたを開けてみないと分からないよ」そうした話の横で事務局長が、「この前事務局で留守番をしとったら、一日で三十件、電話で問い合わせがあったですもん。三十人は間違いなく来るですばい。席ば予約させてくれて、どこかの高校が言いよったですばってん、それは出来んて、断っときました」三十件も問い合わせがあったということは、かなりの人が集まるのかなあとも思いますが、人が何人来るのか、ますます分からなくなってしまいました。
「とにかく、六百の席に人が入りきれない状況を想定して準備しましょう。事故があったら大変ですから」と、高木会長がみんなの意見をまとめました。
四つのパターンを用意して、整理券のデザインを決めようと櫻井副会長が言いました。「字の大きさとか何とか、そんなのどうでもいいじゃないですか。任せますよ」と、会員の多くは笑っていましたが、「整理券に調査士会の住所を入れよう。ひょっとしたら、映画を見た感想を書いて送ってくれるかも知れない」という意見を言う人もいて、会議というのは、どこでどんな意見が飛び出すのか、全く想像ができません。そこがまた面白いところ。(実は、実際に来たのです。これは後の話。)
次に、当日の役割分担を話し合いました。受付は事務局に任せて、一人若くてきれいな、熊本会自慢の女性調査士がいるので、その人もつける。上映会にあわせて展示する、「伊能中図」「伊能小図」これらの図面の管理のリーダーを企画部長にして、熊本支部長、副支部長、熊本の各分会長の計七名でこれにあたる。司会は厚生部長。会場でけが人や急病人がでたときの対応には、経理部長が窓口となって対応する。その他細かいことを話し合って、会場の整理には、司会をする厚生部長をリーダーに、広報部員八名がこれに当たる。取材や広報といったところは、広報部長の小西先生が「それはわたしがやりましょう」と、おっしゃいました。”広報部長って、たいへんだなあ“と思いましたが、私がせずにすんで、ほっとしておりました。私は一広報部員として、会場の整理に当たれば良かったのです。映画が始まれば、会場の中にいるので映画も見られる。安堵しておりましたが、「小西先生は、この上映会の実質的な統括者ですから、取材をやっている暇はないと思いますよ。誰か他の広報部員の人に任せたらどうですか?」高木会長がそうおっしゃって、私のところにお鉢が回って来たのでした。上映会の担当部署は、広報部となっています。上映会のいきさつだとか何だとか、そうしたことは、小西先生でないと、分からないところも一杯あるなあと、連合会からの原稿の依頼書を見ながら思いましたが、色々と使っていただけるのは、ありがたいことです。ハァー…、
写真の方は広報の理事と、前広報部長がしてくださることになり、私を含め、五名が取材の担当となりました。
上映会実施のいきさつを小西部長に伺いました。大きな事業計画の割には、ずいぶん簡単に決めたんだなあとも思いましたが、実際はそんな所でしょう。小西部長のお話を紹介します。
「総会が終わった後、今年の事業計画として、何もやらんという訳にはいかんだろうと思って、鶴屋デパートも増築になったばかりで、一度くらい見ておこうと思って、私(小西広報部長)と、櫻井(副会長)さんと、大窪(経理部長)さんの三人で鶴屋のホールを見に行きました。九階のホールは、イベントとしては使えるようなものではなかったですが、七階の方は立派なもので、担当の人に聞いたら、八月二十四日が空いているということでしたので、その場で予約しておきました。こんなんで決めていいのかなあとも思いましたが…、」と、言っておられました。即決で決めたところは、評価していいのではないでしょうか?そうしないと、何も決まりませんもん。
上映会直前までの様子はそう言ったところで、準備やら何やらは、六月十八日(火)の、第一回実行委員会の会議の様子を、丁々発止で伝えられると面白いのですが、誰が何を言ったか、日にちがたちすぎました。ただ、どういうことをを話したかは覚えていますので、そこいら辺をぼちぼち思い出しながら、ご報告します。
高木会長の思いとして、土地家屋調査士という職業を、広く世間に知らしめたいという気持ちがあられるようで、その一環として、熊本県内全部の小中学校に基準点を寄贈したいと、ことあるごとに言っておられます。香川県の調査士会でそうした試みが行われ、かなりの成果を上げたやに聞いておりますが、我が熊本会でも、ぜひチャレンジしてみたいと、いろいろと算段されているみたいです。この上映会を機に、小学校中学校へアプローチをかけよう。という思いと、伊能忠敬のことが、小学校六年生の社会の教科書に五ページに渡って記載されている。ということで、小学校六年生の児童を大きなターゲットとして捉え、各小学校へのアプローチを今回の上映会では一つの軸として、それに対して行動を起こそうと、協議を重ねました。
まず、熊本県下全部の小学五,六年生の人数を、熊本県義務教育課及び、各市町村の教育事務所で調べました。こうしたところは、普段から役所への出入りをしている者の強みです。結果、小学五年生一万九千五百四十七名。小学六年生一万九千四百八十一名。合計三万九千二十八名。という数字が分かり、各小学校にポスターと、人数よりは少し多めの案内チラシを発送しました。発送方法は、熊本市教育委員会の場合、文書発送箱というのがあって、そこの中に入れておくと、各小学校の方から、定期的に受け取りに来るシステムになっているのだそうです。そうした交渉は、事務局長が中心となって動いてくれました。県、市の教育委員会に推薦名義の使用願い、その他各新聞への広告やらなにやら、実際に動いた広報部長やら事務局長、担当理事、それらの人は大変だったようです。
いよいよ当日を迎えたわけですが、この日は朝から雨で、夜中の二時頃、ほとんどの人が目を覚ますような雷が熊本県全下でありました。熊本市内の広報部員と手伝いの二名は六時半に本会へ集合して、中図、小図を小西広報部長のワゴン車でデパートに搬入。その他の人は七時までに鶴屋デパートに集合となっていました。昨晩はよく眠れなかったと言いながら、集合時間に遅れる人がいなかったのは、やはりみんなそれぞれに、緊張していたのでしょう。雨が上がればいいがと思いながら、七時にシャッターが開き、エレベーターで七階のイベントホールまで、中図、小図を搬入。早速地図をロビーに並べましたが、ロビーの柱やら通路との関係で、なかなかうまく並べられず、一度並べては「うーん」と首をかしげ、首をかしげるたびに「日本列島移動」と、何度か号令がかかりました。号令をかけていたのは、主に西副会長。
ようやく並んだ中図の上に、用心を期して、ビニールシートをかけましたが、光が乱反射して中が全く見えません。「これはつまらん(ダメだ)」と、櫻井副会長が言いました。せっかくだから、自分たちの住んでいる熊本だけでも、触れるようにしようと思ったのですが、「鎖を張って、そこから見てもらうしか」ありませんでした。
朝早くに集合したのは、中図、小図を並べるのにどれだけ時間がかかるか分からず、不安もありましたので、とにかく早めにやろうと、みんなの意見はまとまったのでした。ロビーの柱やら通路との関係で、並べるのに苦労はしましたが、それでも大勢で並べますので、思ったほどには時間はかからなかったみたいです。8時くらいには、大体片づきました。早い時間のデパートの中は冷房も入っておらず、事務長からはハッピを着るように言われ、「まだ早い、暑い」と、特に恰幅のいい会員は、ぼやいておりました。
一段落ついた所で、女性の事務員が、朝食のおにぎりとお茶を配りました。「バクダン」と称する、少し大きめのおにぎりで、それをほおばりながら、ソファーに深々と腰を下ろし、足をのばし、そのままうとうと…、
「集合!」と、誰かの大きな声でびっくりして目を覚ましました。「熊本の年寄りは、朝から元気がいい」と思いましたが、声の主の西副会長と私とは、そんなに年は変わらないのでした。
会場の入り口のところに集まると、「いよいよこの日を迎えたわけです。事故のないようにしてください。この上映会が終わったら、みんなでビールの一杯でも飲みましょう」高木会長がそうおっしゃって、その後全体の集合写真を撮りました。写真を撮っている最中にエスカレーターが動き出し、配置につこうと動いていると、涼しい風が館内を回り始めました。デパートも営業の準備を始めました。
十時になるとすぐに、何人かの集団が整理券を求めて中に入っていきました。第一回の開演は十時半からです。時間も席も余裕があるので、せっかくだから、中図や小図を見て欲しいなあと思いましたが、みんなさっさと会場の中に入っていって、たまに何人かの人が、ちょっと一瞥をくれますが、あまり気にとめる人もいません。朝から大変な思いをして並べたのにと思うと、何のためにしたのか、分からないなあと思いましたが、そこは気を取り直して「伊野忠敬が作った地図です。ご覧になってください」と、売り込みよろしく声を張り上げました。張り上げはしましたが、皆さんに興味を持って見てもらうのは、難しいみたいでした。
会場に来てくれたのは年配の人が多くて、加藤剛さんのファンかな?と思いました。この記事をまとめるためにも「どこで、上映会のことを知りなさったですか?」と聞きたかったのですが、変な男からいきなり話しかけられるのもいやだろうと思い、遠慮いたしました。多くの人が来てくれましたが、あれほど情熱を持ってアピールしたはずの小学生はほんのわずかで、気になりました。
十時半に開場し、「地図を作るということで、私たち土地家屋調査士と、伊能忠敬とはつながりがあるわけです」と、高木会長が挨拶の中で土地家屋調査士という職業を紹介し、その後上映会が始まりました。映画をご覧になった方も多いかと思いますが、測量という仕事を通して感動を伝える内容のもので、すばらしい映画でした。この日初めて映画を見た人たちにもこの感動は伝わったみたいで、上映終了後、会場のロビーに並べた中図の前には多くの人が並んで、一つ一つの文字や線を、食い入るように見つめていました。始まる前は、いくら言っても見向きもしなかったのにと思うと、映画の力というのはすごいなと思いました。私もわずかの知識で、伊野忠敬の測量と地図を、それらの人たちに説明し、質問にもいくらか答えました。映画で感動し、中図の前に集まる多くの人に、また改めて、感動しました。
午後は一時半の開演でしたが、午前中ほどには不安もなく、伊能中図の前をさっさと通り過ぎる人を前にしても、「後からは、みんなこの中図を見てくれる」と思うと、映画が終わるのが楽しみでした。やはり午前中と同じように、映画が終った後、皆さん中図の前に集まってくれました。こうした光景は、まさに、イベント冥利に尽きます。会場に来られた、河内という熊本市でも海沿いの方ですが、そこのお宅に、伊能忠敬が二十三日間宿泊したという記録があるそうです。当時庄屋さんだったそうで、会場に来てくださった方から、そうしたお話も伺うことができました。河内町の町史に、その内容が詳しく書かれているとのことでした。
準備したチケットの残りから計算すると、午前中の来場者は四百二十人。午後は四百三十八人。六百の座席に対して三分の二強の来場者数です。素人がやったイベントとしては、大成功と言っていいのではないかと思います。ただ、結果オーライという所もあって、当初見込んでいた小学生の数が、ほんのわずかであったのは、夏休みも終わり時期で、アピールするのが難しかったという事情もあったのですが、反省点としてあげられる所です。そしてこれは、特筆していいのではないかと思います。この映画の持つ集客力というのは凄いです。この集客力に助けられての成功、ということになろうかと思いますが、何はともかく、上映会は大成功でした。
以上の活動は、熊本会としても初めての試みで、土地家屋調査士という職業を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いから始めました。暗中模索の中で動き、結果として、無駄なことも多かったということになりますが、そこから得たノウハウは、今後の財産になることでしょう。いろいろと動かれた、担当理事や事務長は、本当にご苦労さまでした。また、上映会のために朝早くから会場の準備に当たられた、多くの会員の方も、お疲れ様でした。会場撤収の後、残った数人、屋上のビヤホールで、ささやかな打ち上げを行いました。水俣や人吉といった、遠方から来られている方は、「一緒に一杯」というわけにはいかなかったですが、機会があったら、一杯やりましょう。ご苦労様でした。
ゴジラ
本荘にある十一階のビルの屋上から、白山通りを眺め、南熊本をのぞいた。大甲橋が見えればそれが一番良かったが、途中に新しいビルが建っていた。測量の基準をどこから持ってこようと、地図を片手に、測量の基準点のある所を確認していた。
ビルが多い市街地では、見通しの良いビルに測量の基準となる点を置いてある。置いてあるのは有り難いが、地上からその点が見えなければ意味がないので、高所恐怖症の私にとっては、ちょっと限界を超えるかなあ、と思うようなところにあるのが常である。ビルの屋上ならまだ嬉しいが、通常屋上からもう一つはしごを登って行く。大体、ビルの真下が見えるような角にそれはある(これは怖いですよー)。ここに機械を据えて、下の道路などに点を落としていく。このビルから一番近い所は、五〇〇メートル程先のNビル。それを後視点にして、道路や駐車場に何点か落として、それを地上で結ぶような骨格の測量をするのだが、今行っているのは、その前の計画段階での作業である。見晴らしが良すぎて身震いするが、壮観な眺めである。今回の仕事は、私単独ではない。私を含めた土地家屋調査士三名の、共同作業であった。
うさんくさい中年男が三名、ビルの屋上で、「白山通りのあそこから…、南熊本のあのビル(の点)は使えるかなあ…,大甲橋は、見えないなあ…、」などと話していたが、この会話を知らない人が聞いたら、“不審者が三人”と思われかねない。テレビで聞いた話だが、ゴジラという映画を一番初めに作ったとき、やはり東京の、当時一番高いビルの屋上から、ゴジラという怪獣に、どこを通ってもらうかということを、検討したそうである。東京湾の沖に現れたゴジラが上陸して、途中ビルを破壊しながら国会議事堂へ向かうと、それこそ映画のスタッフが数人、ビルの屋上で指さしながら話していたら、すぐに警察が来たそうだ。そんなことを一瞬思い浮かべ、だれかこのビルの屋上の片隅で、この話を聞いていやしないかと思ったが、屋上の鍵をもらって上がっているので、誰もいるはずはなかった。
私たち土地家屋調査士が通ったあとに、器物の損壊はない(はずである)。ただ、“測量をしました”という印に、杭がポツンポツンと残ることになる。そうした姿をイメージしながら地上に降りた。
ビルの屋上にいたときは、ゴジラにでもなったつもりでいたが、下に降りた途端、アリさんになったような気がしたのだった。私はアリさんの役目でいい。下の方をポールを持って走り回ろう。チームを組んでいる同業の他の二人を、どのようにおだててゴジラになってもらおうかと、そんなことを考えていた。